> 納得できる葬儀を実現できる世の中にしたい!!という信念の元、日々悪戦苦闘しています。
(2007年11月18日)
あるテレビ番組で癌と闘うジャズ歌手石野見幸さんの
存在を知りました。
その壮絶な闘う姿を見るにつけ、残された時間を
いかに生きるのかを真剣に問うことの重要性を
再確認することができました。
石野見幸さんは去年9月にスキルス性胃がんと
診断され、余命1ヶ月と宣告されましたが、残された
時間を身をすり減らすように、全身の激しい痛みや
抗がん剤の副作用、死の恐怖と直面しながら
歌手活動を続けていました。
その石野さんに追い討ちを掛けるように、子供の頃から
病弱で、それであるがゆえに学校を休みがちになり、
いじめにあうことになった彼女を力づけ、音楽を教えてくれた
お父さんが、闘病中の最中に脳卒中で突然亡くなりました。
自らの死の恐怖との闘いの中で、ジャズを歌うという
その道を彼女に示したお父さんの「歌い続けるのだ。」という
言葉を思い出しました。
そしてライブショーをすることを決め、余命1ヶ月と宣告されて
から約10ヵ月後の2007年7月16日に、大阪ブルーノートで
ライブを行うことなりました。
リハーサルで意識を失うなど、体力的にも厳しい状況では
ありましたが、「やっぱり生きていて良かった。」という言葉で
ライブを締めくくります。
この取材に関して、状態の良い時も、悪いときも包み
隠さずカメラを回し続け、伝えてほしいというのが条件でした。
「どんな苦しいときでも笑顔を保つことで、周りの人からも
笑顔を得られる」という石野さんのその姿勢は、苦しみを
抱える多くの人々に勇気や生きる力を与えることとなりました。
同じ病室で患者さんは石野さんから勇気をもらい、今もガンと
闘い続けています。
また、いじめられた経験を持つ14歳の女の子は、石野さんを
訪ね、それ以来二人の間に交流が生まれ、今少女は歌手を
目指して力強く生きようとしています。
いつ自分の命が尽きるかもしれない、そんな極限の状況に
ありながらも、精一杯今を生きようとするその姿、
そしてその笑顔で、周りの人々に生きる力を与え続けている、
その石野さんの姿に感動を覚えました。
映画やフィクションにない、真実の姿がそこにはありました。
もし仮に自分に残された時間が少ない状況となったときに、
いかに過ごすべきなのか、彼女の姿は私にひとつの答えを
与えてくれたのではないかと感じています。 傳法
(2007年04月21日)
皆さん、ご自分の遺影写真のことを考えたことはありますか。
私どもの発行するエンディングノートで
「遺影写真はどれを使いますか?」という項目があります。
私は「後悔しない!葬儀の勉強会」で、エンディングノートの
パートを担当しておりますが、実はそれ以前から、自信で準備を
していたことと重なることが多く、不思議な「縁」のようなものを
感じることがあります。
遺影写真に関しても同じことを感じることがありました。
以前のブログでも書いたのですが、私の親友の一人が
35歳で亡くなりました。
その時にいつ自分の身にそのようなことが起こるか
わからないという漠然とした想いを持つようになり、
それ以来誕生日ごとに無事新たな年齢を重ねられて
記念として、フォトスタジオで証明写真を取っています。
そして、データとして、PCのあるフォルダの中に
残していっています。
もちろんこのことはエンディングノートに記入してある
パスワードを使って、家内や息子達には取り出せるようになっています。
実はもうひとつこの自分の写真を用意しようと思った
理由があります。
今から25年前になりますが、祖父が亡くなりました。
その当時は今のようにデジカメもなく、祖父母の写真を
あまり取るケースもなかったように思います。
いざ、祖父がなくなり、葬儀を行うことになり、葬儀社から
写真を用意するように
言われましたが、いざ探してみると、長く寝たきりになって
いたために亡くなった80歳の姿に近い写真が見当たりません。
ようやくのことで探し出したのが、60歳代中頃の写真で、
当時の顔とはかけ離れた若い顔の祖父の姿がそこにはありました。
その写真はやはり亡くなった時とは大きくかけ離れた顔の祖母の
遺影写真と、仏壇で仲良く並んでいます。
出来れば、自分自身や家族の際はこんなことがないように
したいと考えています。
いまや高齢となってしまった母には、季節ごとに写真と
撮るなどで少しでもいい顔の、そして私の息子が知っている母の顔が
遺影写真となるように少しづつ残していっています。
先に亡くなってしまった父は、晩年自分の一番気に入った写真を
遺影に使うことを望みました。
同じことを母にも出来るように少しづつ身じまいの準備を
進めています。
「縁起でもない。」といわれる方もいらっしゃるとは
思いますが、むしろポジティブに死を捉え、限りあるからこそ、
充実した時を送る必要があるのではないかと思っています。
皆さんも自身の遺影のことを考えてみてください。 傳
(2007年03月13日)
現在自社セミナーでエンディングノートのパートを担当しています。
参加者の方は大半が高齢の方になるのですが、中には私と同年代もしくは
それよりも若い方がいらっしゃる時に必ずお伝えすることがあります。
今から5年前に亡くなったのですが、私にテニスの楽しさを教えてくれた
友人がいました。
学生時代に知り合ったわけではなく、趣味を通して出来た、
数少ない親友で、そして何よりも頼りになるダブルスのパートナーでした。
結婚後も家族ぐるみでお互いの家を行き来する、そんな間柄でした。
ダブルスを組んで12年目の年の暮れ、突然その訃報は飛び込んできました。
A君の奥さんから電話があり、2週間前に彼が亡くなったことを知らされました。
プラントの設計をしていた彼は、年間の半分を長期出張で過ごし、
そして酒の好きなA君は奥さんの目の届かないところで、
毎日のように大酒をくらっていたようです。
その日も取引先の人間と飲みに出かけ、2次会でかなり酔い、
ホテルに戻ったわけですが、次の日出勤してこないのを不思議に
思った同僚が部屋を訪ねると、既に心肺停止状態であったと聞きます。
表向きは心臓麻痺ということでしたが、その原因は過度のアルコール摂取が
引き起こしたものであったとのことでした。
葬儀に関しては、死因に関し、A君の実家並びに奥さんが、労災をめぐって
会社とかなりもめたと聞きます。
結局実家のお父さんが家族だけで行うことを決め、会社関係者や
友人・知人関係を呼ぶこと考えていた奥さんの考えが汲まれることは
ありませんでした。
葬儀が終わって、3週間が過ぎ、ようやくA君の霊前に向き合うことが出来ました。
半年前に生まれたA君の次男が、ベビーベッドの上で無邪気な笑顔を
振りまいている姿に、私の涙は止まりそうもありませんでした。
彼が亡くなったのは34歳の時で、まだこれから仕事も家庭も、
守るべきものがたくさん出来た中での急逝でした。
周りの人間まで、気持ち良くさせるぐらい明るく、気遣いのでき、
揉め事の嫌いな彼がいれば(当然彼の葬儀ですから無理なんですが)、
多分葬儀のことでも「まぁまぁ。」といって、うまく話をまとめたことだろうと思います。
彼にはきっと伝えたいことがたくさんあったはずなのに、奥さんも、子供達も
それを聞くことが出来ないままで・・・。
いったい何を伝えたかったのだろうか。
そこにはどんな思いがあったのだろうか。
エンディングノートは決して高齢の方だけのツールでありません。
「死を考えることで、初めて生きることを実感でき、生を考えることが出来る。」
若い方でもいつ何時家族や愛する方と、別れを迎えなければならないことが
あるかもしれません。
そのためにも、あなたの思いを形に残し、伝えるすべをもっていただきたいと
思うのです。 傳
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(2007年02月21日)
エンディングノートのセミナーを行うようになり、様々な形で
病気や余命の告知、延命治療等の話に触れることが
多くなりました。
その中で以前、ある医師がご自分の経験された「告知」に
ついて書かれた文献を読んだことがありました。
優秀な外科医であった彼は、自分の妻と父が癌を罹患し、
2人ともの外科手術を行いました。
妻を救うことは出来ましたが、残念ながら父親は
癌であることが判明した際にはすでに手遅れで、
術後1年で亡くなられました。
このとき、彼は妻にも、父親にも、癌であることを
告げることはありませんでした。
肉親の手術をする前、彼はすべての人に癌告知を
するべきと考え、告知しないことに対して罪悪感すら
感じていましたが、いざ自分の肉親を
執刀するに当たって、全く反対のことを行ってしまったのです。
それまで彼は、家族が告知しないことで、自分の思い通りに
できない、もしくは家族の賛成により、患者はもっと違った考えで
残りの人生を過ごしたかもしれないのにと考えていました。
しかし、彼は自身の家族の癌手術を執刀した後、大きく
考えが変わりました。
告知が善か悪かといったことで片付けられる問題ではなく、
ひとりひとり違っていて当たり前で、また患者の幸福に
最も深く関わっているのは、その人の家族である。
患者にとって告知するのと告知しないのとどちらが幸福かを、
医師が一人で決めるべき問題ではないのではないかと
考えたのでした。
「どちらが正しいか」でなく、「どちらがより幸福か」のほうが
問題なのであり、真実を告げるのが正しいとはかぎらず、
幸福でさえあれば、嘘だって許されていい、
そんなものなのだと。
私も以前このブログで書きましたが、やはり父を癌で
亡くしています。
そのときにやはり、この医師と同じように私の口から、
そして担当医師からも告知をすることはありませんでした。
実は私もこの医師と同じように、真実をきちんと伝えることが
本人にとっての正しい行為であると信じていました。
この医師のように現実に直面するにあたり、初めて
理解できることもあるということなのです。
「死と直面して、現在の生を充実して生きる。」
これを言葉で言うのは簡単であるが、自分の残された時間が
明確に告げられ、恐怖や心配なく、本当に幸福に過ごせる人が
いったい何%いるのか、また全く生の希望なくして人間が
生きることの苦しさを、本人以外の誰がわかっていると
いえるのでしょうか。
悲しい「あきらめ」を「死を平静に受容して立派に生を全うした」と
いっているだけではないのか。
回復を信じて、最後まで医師や家族に怒りをぶつけながら、
悶々としながら亡くなった人のほうが、平静なあきらめの
人生よりむしろ幸福とはいえないのではないか。
私たちは死に行く人たちの視点でなく、やはり傍観者の
視点で物事をとらえているのではないだろうか。
彼はこの文章の中で何度も自問自答しながら、そして
世に問いながら、告知はどうあるべきものなのかを
伝えようとしました。
彼は最後に言います、
患者から、生きる勇気と希望を取り去るのは一番いけないことで
あり、例え真実を告げ るときでも、多少の希望は残して
あげるべきなのだと。癌と医師と患者が一緒になって戦い、
克服できる可能性が高ければ、告知すべきだが、それ以外は家族の、
もしくはそれ以前に本人の意思を尊重すべきであり、家族が告知を
拒否するのは、深い愛情からきていることを、
医療者はもっと理解しなくてはならないと思うと。
私は医師である彼の言葉を目にして、初めて長年胸のつかえであった、
父への告知についての思いが晴れたような気がしました。
十人いれば、十通りの生き方があり、告知に関しても十通りの方法が
あっていいのだと。その時点で本当に幸せと思えるのは、何なのかを
見極めることが必要であるということなのだろうと。
最近少しだけ自分のエンディングノートに加筆をしました。
「戦っても治る見込みがなければ、告知はしないで欲しい。」と 傳
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(2006年11月25日)
エンディングノートというと、万一の際に、
自らの意思が伝えられなくなった時の意思表示と
いうことで考えられることが多いと思います。
もちろん、エンディングノートの目的としては、
病名や余命の告知や臓器提供についての意思表示などが
中心に記入され、またそれを中心に語られることも
多いように感じます。
私共のエンディングノートは3部構成になっており、
第1部が私のもしものときに、第2部が私のお葬式、
第3部私の生きた道、生きる道という内容になっています。
実際、私もエンディングノートセミナーで、
講師を務めるに当たって、その内容を説明差し上げる際に、
どうしても自分の言葉で伝えたいがために、自分自身の実体験を
元にお伝えした方が伝わりやすいのではないかという観点から、
第1部の内容を中心にお伝えすることが多くあります。
またセミナー終了後のアンケートに関しても、実体験を
元にした話であるがため、非常によく理解が出来たとの
ことで、評価をいただくことも多いのです。
しかしながら、実際のところ本当の意味で伝えたいのは、
そういった部分ではなく、当社のエンディングノートの
見開きにも書いていますように、
「素敵な人生をおくるために何をすべきか」ということなのです。
自らの今までの足跡を、そしてこれからの歩みを残していただき、
愛する方や大事な方へのメッセージを通して、ご自分の人生を
振返っていただきたいのです。
10年前、5年前にご自分の考えていたことはどうであったのか、
そして3年後、5年後にどうしていたいのか、また時間を経て、
その振返りをするときにどうであったのかをいうことを
見つめ直していただきたいのです。
愛するご家族の方へのメッセージを通して、
ご自分のご家族に対する想いを確かめていただきたいのです。
そして、ご自分の生き方、人生を愛していただきたいと思います。
先日あるエンディングに関する勉強会に参加させていただきました。
仏教の側面からエンディングを捉えるということで、
エンディングを考えるということは今をどう生きるか
考えることであるというお言葉があり、
まさにその通りであるという思いを深めました。
単なるメッセージを伝える道具としてではなく、
ご自分の人生を語る上でなくてならない、
姿を映し出す鏡のように、
宝物のように
大切なものになれば良いと考えています。(傳)
(2006年09月30日)
そのとき義父は肺がん治療のために、放射線治療を受け、
無菌室へ入っており、そこに私と一人娘である妻が
呼ばれることとなりました。
義父は「自分はもう長くないのはわかっている。娘のことを頼む。」
と治療のため傷ついた声帯で、聞き取ることがやっとの声で、
そう話しました。
そして、
「自分の臓器が後世の医学の発展に役に立つのなら、
提供をしてほしい。」
と、搾り出すような声で、最後に告げました。
それから1週間後、義父は少しの回復も見せぬまま、
3度目のがんの発症には勝てずに、この世を去ること
となりました。
死に目に会うことが出来なかった妻と私が、義父が
亡くなった病室に着くと、義母と義父の兄弟が何やら
病室でもめていました。
先ほど亡くなったところだというのに、兄弟たちは
義父の死を悲しむでもなく、臓器提供に否定的な意見を
告げ、そして、そんなことは血を分けた兄弟である自分たちが
許さないと、義母に対し、「他人であるあんたは黙っておけ。」
と迫っていました。
兄弟の人数が多く、その勢いに押され、またなくなった
ばかりで気落ちしている義母は気後れし、しぶしぶ同意せざるを
得ませんでした。
叔母の一人が
「お兄ちゃんの体を勝手に切り刻まんといて。」
「そんなことをいうわけがない。」
私が義父の意思を伝えようとすると、ののしるように
言い放ちました。
寂しい光景でした。自分を愛してくれた人が亡くなり、
悲しみに浸ることもなく、もめている姿をみると、
義父もきっと悲しんでいるに違いないと。
私共のエンディングノートは3部構成になっており、
第1部が「私にもしものときに」となっています。
4番目に‘臓器提供について’という項目があります。
もし、あの時に義父の手にこのエンディングノートが
あって、その意思を直筆で示すことができたなら、
果たしてあのような光景が起こったであろうかと。
もしものことがあり、自分では意思を示すことが
できなくなったときに、意思とは関係なく、処置が
施されたとしたら。
亡くなった人間の意志と関係なく、また死を看取り、
その死を静かに受け入れようとすることもなく、恥ずかしい諍いを
行ってしまうことがただとても悲しいことだと思うのです。
私のエンディングノートにはこう書いてあります。
自分の死後、臓器提供により後世の医学の発展に
貢献することが出来るのなら、躊躇することなく、
提供してほしい、と。
あのとき義父が私と妻に伝えてくれたように。 傳
(2006年09月23日)
ガンを発症した、しかしその事実を私は知らない。
妻や息子に対して、その事実が告げられ、
余命半年の宣告を受ける。
息子は迷い、そして妻はうろたえた。
その夜離れて暮らす妻を自宅まで送り届けた後、
息子は車を運転しながら、
一人静かに私との思い出に浸りながら、
そう遠くない先に訪れるであろう、
私との別れを思い、そっと涙を流した。
私に病気のことを告げるべきかどうか。
仕事に身が入らない。
1ヶ月あまりのときが流れた。
息子は病床の父を連れ出し、
その病名を伝えるつもりでいたが、
本当の病名が伝えられることはなかった。
自分がもし余命いくばくもない状況となり、
それを家族が知りえたときに、
本当に自分はその事実を受け入れることが
できるのだろうか。
自分に突然不幸が訪れ、もしものことがあったときに、
子供たちは、妻は、どうするのだろうか。
エンディングノートを前に、その中を埋めるべく、
今一度、真剣に自分の家族とは?自分の人生とは?
を問い直すこととなりました。

数年前に父が置かれた状況に私を、
息子である私の状況に息子たちを
置き換えてみると、
そしてあの時病床で
日に日にやせ細っていく父の姿に
自らの姿を投影すると、その答えが
見えてきたような気がしました。
自分自身が大いに悩み、そして父に対して
どうしても本当の病名を
伝えることができなかったことを思い出し、
その役目で息子たちを苦しめないで済むように、
妻を悩ませることがないように
自らの意思をきちんと示しておこうと。
そして少しでも自分の足跡を示す事ができれば。(傳法)
セミナー開催いたします。
『後悔しない!お葬式の勉強会』 in 大阪
【会場】
日時 : 2006年9月30日(土)10:00-11:30(9:45受付開始)
会場 : 東明ビル
(大阪市中央区北久宝寺町4-2-10 東明ビル8階 会議室)
地下鉄「本町」駅 徒歩5分 南御堂のとなり
【要領】
参加費 : 無料
お申込 : 下記のページまたは、06-6241-6330まで
お申し込みください
http://www.sougi-west.net/info/193.html
【内容】
・葬儀の注意点
・葬儀社選びのコツ
・エンディングノート活用術
・エンディングノートの役割
(当日ご参加いただいた方にはエンディングノートを無料でプレゼントいたします)
| 日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
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