> 納得できる葬儀を実現できる世の中にしたい!!という信念の元、日々悪戦苦闘しています。
(2011年10月26日)
葬儀の評価は誰が決めるものなのだろうか?
と考えることがあります。
ある葬儀社さんは、このように話しました。
「葬儀の評価は、良いか悪いかは別にして
親戚が決めるよ。例えば、親戚からこの葬儀の
やり方はおかしい、これじゃぁ兄さんは
浮かばれないよ、というような話をされたとしたら、
何か葬儀が残念なものになってしまう。
逆に、親戚から立派な葬儀だったね、と言われることで、
喪主さんは肩の荷が降りた気になるよ」
また、家族が決めるという考え方もあると思います。
周りに何と言われようと、故人様の遺志を
実現したお葬式で送られて、出棺される時には、
どこか納得されたような喪主様のお顔を
拝見したこともあります。
人間として避けることのできない
「葬儀」という節目に、果たして
評価が必要なのか?という考え方もあると思います。
主役(故人様)から、
「いい葬儀をありがとう」という声を、
決して聞くことができない葬儀だからこそ、
こんなことを考えてしまうのかも
しれませんね。 岩
(2011年10月19日)
今日は若い新聞記者の方から
取材がありました。
50~60代の読者を想定しての
アドバイスを依頼され、
自分たちの葬儀、ご両親の葬儀などを
どのように準備をしたらいいか、
いろいろお話させていただきました。
葬儀のことは何もわからないとおっしゃる
若い記者さんだからこそどなたにも
わかりやすい記事を書いてくださるのではないかと
楽しみにしています。
さて、毎日、たくさんのご相談を
伺っていて感じていること。
電話が普及して、手紙を書くのが
おっくうになってきた何十年かに続き、
最近は、インターネットが普及して
電話をかけて話してみる、
会って説明を聞いてみる、
そんな当たり前のこともおっくうに
なってきてはないでしょうか。
買い物なども、お店の人とやりとりして
買うものを決めたり、
あるいやそのやりとりをもとに
お店の良し悪しを決めていたのに、
今は無言でスーパーの棚から商品を取るだけに
なってしまい、一言も言葉を交わさないまま
買い物を終えるようになりました。
街中でも電車でも、会話がとても少なくなって、
口を開くのは文句を言うときだけ、というのでは
あまりにさみしいですよね。
自分に合う信頼できる大工さんや、お花屋さん、
アドバイザーやお医者さんを探すように、
安心できる「いい葬儀社さん」を探し、
その仕事に携わる人だからわかる情報やアドバイス、
工夫などを教えていただきながら、
葬儀の準備を進めたいもの。
記者さんには、
「いい葬儀社さんを探す」ためのアドバイスを
させていただきましたが、
実際に葬儀サポートセンターに相談いただく方には、
お考えや状況を伺って、
その方に合いそうな「いい葬儀社さん」を
ご紹介させていただきます。
まずは、ためしに電話で相談スタッフとお話してみてください。
大矢
(2011年10月17日)
今、日本では様々な葬儀の形が言われています。
以前はタブー視されていた葬儀が世に出ることが多くなり、
日本人の葬儀の価値観はこれまでにないスピードと
勢いで変わりつつあります。
葬儀の際は都心を中心に家族が亡くなった方に
触れることは少なくなり、葬儀社に任せれば
初七日まであっという間に過ぎてしまいます。
形式もホテルのような葬儀式場や、豪華な祭壇、
火葬のみの直葬や家族数人で行う形などさまざまになりました。
どのような形であれそこに亡くなった方を
思う気持ちがあれば素敵な姿だと思います。
ただ、生きるもののことばかりで亡くなった方への
想いがない葬儀はそのお式が立派であってもどこか
寂しいものを感じ、この寂しさはなんなんだろうか。
葬儀をなぜ行うのかがわかればもっと最後の
お別れを大切にできる社会になるのだろうか。
そのために自分ができることはなんだろうか。
そんな考えがいつも自分の中にありました。
話は飛びますが先日、DVDをレンタルし『マザーテレサ』
(2003年 イタリア=イギリス)を鑑賞しました。
![マザー・テレサ デラックス版 [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/21XJ8KB932L._SL160_.jpg)
マザー・テレサ デラックス版 [DVD]
~~~~~~あらすじ引用~~~~~~~~~~~
1946年、インドのカルカッタ。
カトリック修道院内の女子校で教鞭をとっていた
マザー・テレサは、イスラム教徒とヒンズー教徒の
抗争で負傷したインド人を助けたことで、修道院長と
対立してしまう。
しかし「自分の居場所は修道院でなく、
貧しい人々の中」と考えるようになったマザーは、
一人で街に出て人々に救いの手を差し伸べる。
やがてマザーは自分の信念に従って自由に活動できるよう
「神の愛の宣教者会」を設立。
しかし心強い協力者を得る一方、
スキャンダルにも巻き込まれてしまう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
マザーテレサに関しては、恥ずかしくながら
ぼんやりとしたイメージしか持っておらず、
この映画でどんな方だったのかを初めて知りました。
映画の感想を書けば長くなってしまうので
特に印象に残ったこととして彼女が活動の中で
「死を待つ人々の家」というホスピスを設置した
シーンには深く考えさせられました。
カルカッタの中でも貧困層が暮らす町には飢えに喘ぐ人が
たくさんいて、路上で亡くなる方も大勢いたようです。
その中でテレサは
「せめても最期は綺麗な体で屋根のある場所で」
そう言って他宗教であるヒンズー教の廃寺院を借りて
身内もおらず、貧困や病気から路上で死を待つしかない人の
最期を看取るための施設を設立しました。
「死に際にカトリックに改宗させる気だ」、と近隣からは
反対運動がおこりましたがテレサはヒンズー教の方は
ヒンズー教式でイスラム教徒はイスラム教式で看取り、
近隣の信頼も得ていきます。
どんな人であっても屋根のある穏やかな場所で
丁寧に体を拭いてその人を尊重して看取る。
そんなテレサの姿勢に
葬儀をなぜ行うのか
の1つの答えがあるように思いました。
また、マザーテレサは昭和56年4月22日に来日し、
1週間日本に滞在しました。
高度経済成長期を終えた、日本を見た彼女は
「物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。
心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、
もっともっと貧しいことだと思います。
日本のみなさん、豊かさの中で貧しさを忘れないでください。
豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか」
と訴えかけました。
映画の中では十分な食料もなく、テレサが市場を回って
集めた食料を育ち盛りの子供たちに配ったり、
路上で眠る人、そのまま亡くなる人、
病気に喘ぐ子供を医者に見てもらえない母親など
不足だらけの状況が映されていました。
そんなインドの葬儀について調べたところ、
最期は決して豪華ではないけれど皆で宗教者と共に
宗派にのっとった祈りを捧げてその人の最期を看取るそうです。
亡くなった人を主体とし、その人を偲び、大変でも
危篤になれば祈りを捧げ、なくなれば皆で体を清め、
綺麗な服に着替えさせてあげる習慣があるといいます。
物もお金もないカルカッタに生きる人々と
テレサが言った
「せめても最期は綺麗な体で屋根のある場所で」
「豊かさの中の貧しさ」
は1つの考えを見出させてくれました。
効率や見ためで判断していくと知らない間に
本当は大切なものまで排除してしまっているかもしれません。
気がつけばなんのために葬儀をしているのかわからない、
気持ちが置いてけぼりのお式になっている、
そうなってはたった1度のお別れですのに、
とても寂しく思います。
亡くなった方への想いをこめてその時できる限りの
お別れを行うことは、人としてとても大切なことで
それは守るべき想い、文化なのではないでしょうか。
そして亡くなった方や周囲に感謝できる葬儀を行うことで
物質が豊かなだけでなく、心も豊かな社会になって
いくのではないかと思います。
そんなお葬儀が1件でも多く行われるよう
当センターではみなさまの葬儀についてのお考えを
一緒に整理整頓させていただき、その方、そのご家族に
適した葬儀内容、式場、葬儀者を提案させていただきます。
お気持ちに沿ったお葬儀を行なっていただけますよう
24時間365日で当センターはみなさまからの
ご相談をお待ちしております。
池邊
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12/4/30現在(03/7/16〜)
