> 納得できる葬儀を実現できる世の中にしたい!!という信念の元、日々悪戦苦闘しています。
(2009年05月06日)
通夜や告別式において、参列者に挨拶をしたり、
読経の際に祭壇を向いている時のご遺族のお顔は、
しっかりと前を向き、
キリッとした顔をしていることが多いです。
知人と話したら笑顔にもなるし、
「いつも通り」に振舞うことも多いです。
しかし、当然のことですが、
心の中は大事な人を失った悲しみで溢れているはずなのです。
その感情は、告別式の最後、
棺を閉める時や火葬場でのお別れの時にしばしば表に出てきます。
いよいよお別れという段になり、
内側からドッと悲しみが溢れ出てきて、
それまでの毅然とした態度が崩れ、
涙が流れてくる。
そんな例を何度も目にしてきました。
葬儀の大事な役割の一つとして、
「遺族が故人との別れを事実として受け止める」
というものがあります。
そしてその役割をきちんと果たすためには、
「故人との別れをしっかりと悲しむ」
というプロセスを経ることが重要だと、個人的に思っています。
悲しむタイミングや手段は人それぞれではありますが、
悲しみの感情に蓋をしたままでは、
しっかりと別れの事実を受け止められないのではないかと思います。
自分も、葬儀やその他の機会において
しっかりと「別れを悲しむ」という過程を経て、
肉親との死別を現実のものとして受け入れてこれました。
そういうわけで、「悲しむ」というのは葬儀における
重要なプロセスなのです。
…しかしながら、
一番の悲しみを抱えている遺族は、式の準備や来客の対応、
当日の動きなどでバタバタと動き回っている内に、
しっかりと悲しみを受け止める機会を逸してしまうことがあります。
(家族葬が増えている理由の一つがこれです)
冒頭に書いたように、「いつも通り」の自分になっていることが多いのです。
遺族が悲しみと向き合う場は、必ずしも葬儀でなくても良いかもしれませんが、
自分は、葬儀のお手伝いをする者として、
「表面的には元気そうに振舞われている遺族の方も、
心の中は悲しみに溢れているということ」
を忘れず、
「遺族の方に余計な仕事をさせずに、
しっかりと、故人様との別れの時間に意識を集中してもらうこと」
を意識して、行動をしていきたいと思っています。
==
数年前、1人の幼馴染のお母様の通夜に、
他の友人と共に参列しました。
その時の彼は意外にも元気そうで、
いつも通り、陽気に面白い話をして、みんなを笑わせていました。
彼が落ち込んでないか心配をしていた自分は、それを見て安心をしました。
その葬儀から帰った後で自分は、
「今日はお疲れ様。思ったよりも元気そうで安心したよ。
何かあったらいつでも言っておくれな」
というようなメールを彼に送ったのですが、
今ではそれは間違いだったかもしれないと思っています。
思い返すと、あくまでも彼は「元気そう」だっただけであり、
実際にはもっと悲しかったはず。
それなのに、「安心した」という自分の気持ちを伝えたことは、
全く相手の気持ちを汲んでおらず、無神経だったと思っています。
タイトルの通り、
「元気そうで安心した」なんて言ってはいけなかったのです。
もしかしたら、その言葉を投げることが、
相手を勇気付けることもあるかもしれません。
けど、本当にその友人の助けになりたいと思ったら、今の自分なら
そこでもっと違う声のかけかたをし、違うメールを送るはず。
そんな過去の反省も踏まえつつ、
また明日から、一つ一つの相談を真心こめて対応させていただきます。
小笠原
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