> 納得できる葬儀を実現できる世の中にしたい!!という信念の元、日々悪戦苦闘しています。
(2008年01月10日)
1月3日に、お通夜の立会いをさせていただきました。
お正月というお祝いムードと好対照な、別れ・・・葬儀・・・
居たたまれません。
お正月休みにも関わらず、多くの方が弔問に訪れ、突然の旅立ちに涙されました。
僧侶の方がお経を終えた後に「少しだけお話をさせていただきます。」と法話をはじめられました。
最近は葬儀で法話をされない僧侶の方も増えています。中には、自分のお寺の営業を始めてしまうという、聞いていて辟易する法話も時にはあります。しかし、悲しみに寄り添い、心に届く法話をされた時は喪家様からも形式的ではない、感謝の言葉が自然と出てきます。
今回の法話は、悲しみの葬儀にあって、静かに、しかし強い意志で伝わってくる法話でした。
法話の冒頭で、
「前に座ってお経をあげさせてもらい、遺影写真から語りかけられる言葉に私なりに必死に耳を傾けていました。今日の法話の結論を先にいいますね。」
と切り出した時は、正直、驚きました。
法話に対して、結論どころかメッセージを明確にしたものが少ないという印象を持っていたからです。
とっつきにくい仏教関係の話や、極楽浄土についての話など、敬虔な仏教徒の方であれば響くかもしれませんが、現在の日本人の多くには、「有り難いかもしれないけれど・・・」と思ってしまうような法話も少なくないからです。
僧侶の方は続けられました。
「亡くなられたお母さんが私に語りかけてきたことは、今日も、明日も行きたかったということです。我々はその思いを受け止めて生きていかなければなりません」
終始、平易な言葉を使って、命のかけがえのなさや、あやうい存在であり生かされていることを話されました。
分かりやすい引用も多く、「朝に紅顔あって夕べに白骨となる」という蓮如上人の言葉を解説されたかと思えば、平均寿命が30代というアフリカの小国シエラレオネの話をされるなど、我々側に歩み寄っての魂を込めた話が続きました。
どの僧侶の方も、法話では大筋として、「命の大切さ、かけがえなさ」を伝えようとされていると思います。
しかし、本気で魂を込めて伝えようとされている僧侶と、分かる人だけ分かったらいいと一遍通りで話されている僧侶では大きな違いがあると思います。
僧侶とは「命という分野に関してのプロフェッショナル」ではないか−そんな思いを感じさせる瞬間でした。
(陽)
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